

海で魚を獲り
清流を利用して畑を耕しタロイモを育て
ニワトリや豚を飼って・・・
それが、昔のハワイの方々の生活でした。
その生活が大きく変化したのは
西洋から導入されたシステムがきっかけでした。
それは、広大な農地に大量の投資を行い
安い賃金で先住民などの労働者を働かせ
単一作物を大量に生産する大規模農園
いわゆる「プランテーション」です。

この仕組みを利用し
ハワイで最初にプランテーションを行ったのは
キリスト教宣教師から事業家に転身した人々で
その後、ハワイの財政界を牛耳ることとなります。
カメハメハ三世の時代に施行された法律により
外国人が
ハワイの土地を自由に購入出来るようになり
その後の数年間で
ハワイ諸島の70%以上の土地が
外国人資本家の手に
渡ってしまう結果となりました。

そんな中
「 土地は大自然から与えられる
神聖なもの である 」
と認識されていたハワイの人々は
なす術もなく
先祖代々の土地を失い
窮地に追い込まれる状況となったのです。
ハワイ最初のプランテーションは
1800年代前半にカウアイ島に造られた
サトウキビ・プランテーションでした。
当初は、そこでハワイの人々が
労働者として働いていましたが
多くの方が
長時間の労働を強いられる過酷な環境に順応出来なかったこと
そして、外来の伝染病によって人口が減少し続けていたこと
によって、労働者不足となったのです。
そこで、必要な労働力を
移民に頼ることになります。
こうして世界各国から大勢の人々が
ハワイに移住することとなりました。
最初の移民は
1800年代中期に
中国からやって来た人々ですが
農場での労働に従事する方は少なく
ご商売を始める方も多かったとのこと・・・
そんな過酷な労働に耐えることが出来たのは
日本からの移民でした。
その方々は、明治元年(1868年)に入植したこともあり
「元年者」
と呼ばれるようになります。
そして、1800年代後半には
カラーカウア王の要請により
明治政府が認可した「官約移民」が入植し
その後、約20万人もの日本人がハワイに渡られています。
そこでは、朝の暗いうちから夜暗くなるまで労働は続いたといいます。
勤勉な日本人移民にとって
このような過酷な労働に従事することは
帰国を思案するほど
辛いことだったことと存じます。
その後、韓国やポルトガルなどからの移民も増え
プランテーションの中では
文化の交流も進んだとのこと・・・
ハワイでのこのような事業は
アメリカのゴールドラッシュや南北戦争の影響で
お砂糖の価格が高騰したことで
成功を収めます。
その後は、パイナップル事業などにも参入し
大規模な産業となり
外国人資本家に大きな利益をもたらしました。
それと時を同じくして
ハワイは移民の島へと
変貌していったことが想像できます。

そのような歴史を経て
現在の「ハワイ」は築かれ
世界中の方々に愛される、
素晴らしい場所となっている
という事実がございます。
私が存じ上げていますのは
ハワイの歴史の中のほんの一部にしか過ぎないのですが
明るく、華やかな現在のハワイ・・・
その陰では
時代の波に飲み込まれ
生活の基盤や慣習を奪われてしまった
先住ハワイアンの悲しみがあったことも
深く心に留めて
フラに携わらせていただきたいと
改めて実感いたします。


お昼ごはん日記
スタジオも Kalikimaka🎄バージョンへ




