

昔から、世界中では
治療する術が見つからない伝染病が
存在してきました。
そんな中、2000年以上もの間
ハワイには伝染病がありませんでした。
ですが、キャプテン・クックが
ハワイ諸島を発見して以来
外国人が多く訪れるようになったため
それまでに存在しなかった病気がもたらされます。
それらの病原菌は
免疫のないハワイの人々にとっては未知であり
やがて死につながる
恐ろしい病気となっていきました。
その中でも、ハンセン病は
瞬く間にハワイ中に蔓延し
大変深刻な問題となりました。
そこで、他の地域から隔絶された地域だった
モロカイ島カラウパパを
ハンセン病患者の隔離地区として
利用することになります。
それは、カメハメハ5世の時代のことでした。

@モロカイ島(2025年8月)
1866年から
この地に送り込まれた患者の数は
8000人以上にもおよんだとのこと・・・
船でたどり着いた先には
先住民が残した畑と質素な小屋があるだけで
飲料水も食糧もなく
患者である方々は
自給自足を強いられることになります。
ご病気で弱ったお身体には
耐えられないほどの
過酷な労働だったことと存じます。
そんな最悪の環境に身を置かされ
暗黙の片道切符を強いられた患者のために
立ち上がったひとりの男性が存在しました。
それは、ベルギー出身でカソリックの神父
ダミアン氏(修道名)です。
ダミアン神父は
ハンセン病患者の状況を知って心を痛められ
1873年に患者を乗せた船に同乗し
カラウパパに移住されました。
そこにある教会の神父となったダミアン氏は
山から水を引き
患者の方々の家を建て
医療物資や食料などを確保するため
何度も役所とかけあい
人生のすべてをかけて尽力されたのです。
そんなダミアン神父の活動により
少しずつ義援金が集まり
協力者が現れます。
1884年、ダミアン神父ご自身が
ハンセン病に罹患されましたが
協力者の方々が、その意志を継がれ
次々とプロジェクトを完成させたとのことです。
1889年、そんな素晴らしい協力者の方々に
見守られながら
ダミアン神父はこの世を去られました。
中には、強い信念を貫き通した
ダミアン神父の行動を
快く思わない人々もいらしたようですが
多くの方々が彼を擁護し
英雄ダミアン神父の亡骸は
モロカイ島の人々の強い要望により
祖国ベルギーにあるお墓から
モロカイ島にある彼のお墓へと
その一部が戻されたとのことです。

@モロカイ島(2025年8月)
実は、ハンセン病に罹患されたダミアン神父は
当時、日本の漢方医であった後藤氏の治療を
受けられていました。
ハワイのあるハンセン病患者が
ダミアン神父と後藤医師の接点の始まり
となったようです。
ハワイ王国の招請により
後藤医師はハワイへ移住し
ハンセン病患者の治療に尽力されました。
後藤医師の治療を受けることで
ダミアン神父の病状は
一時回復へと向かいますが
ハワイ衛生局等との諸事情により
その治療は中止され
後藤氏はハワイを去ることになります。
そうして、ダミアン神父は1889年
享年49歳で逝去されました。
1893年、ハワイのハンセン病患者の
大半の方々による嘆願書が提出され
後藤医師は再びハワイに渡り
ハンセン病患者の治療に尽力され
ハワイ王国から叙勲されたとのことです。
ダミアン神父もまた
後藤医師を深く信頼していらしたようです。

@モロカイ島(2025年8月)
医療が発達した現在
ハンセン病は感染力の弱い病気として認知され
完治する病となり
1969年以降、カラウパパの患者の皆さまは
自由に移動出来るようになられたとのことです。
ダミアン神父と後藤医師は
当時不治の病であったハンセン病に立ち向かい
分け隔てなく
患者の治療に尽力されました。
志を同じくされたお二人の出逢いと絆により
多くの方が救われたことに
胸が熱くなる想いです。


月の海




