

今、生徒の皆さんと学んでいる
古典フラ(カヒコ)は
カラーカウア王にちなんだ曲で
それに合わせて、3年前にみんなで学んだ
カラーカウア王にまつわる他の曲も
復習しています。
3年の時を経て受け取るメッセージは
以前その曲から受け取ったものとは
また異なっていて
同じ曲ではありますが、踊りたびに
更新される趣意にいつも新鮮さを感じます。
ハワイ王朝第七代君主であるカラーカウア王は
フラにとっても、大きな功績を残された方でした。
皆さまもご存じの通り
カラーカウア王が復興を目指し、ようやく体系付けた「古典フラ(カヒコ)」でしたが
第二次ハワイアンルネッサンス(1960年代後半)が起こるまでは
白人富裕層向けの娯楽として
ステージで踊る「現代フラ」だけが盛んでした。
「古典フラ」は、キリスト教の教えに反する宗教的な踊りとされ
細々と受け継いだハーラウや家庭の中でしか
踊られることがなかったそうです。
カラーカウア王の後に即位した
リリウオカラニ女王は
2年間の治世の後、1893年に退位させられ
ハワイ王政は廃止となります。
そして、ハワイ経済は
アメリカ人の5大財閥に牛耳られていきます。
この時代のハワイでは、アメリカ市民が中心の社会が築かれ
フラは上流階級の白人のためのエンターテインメントとして
奨励されるようになりました。
この頃から、「ハパ・ハオレ・ソング」と言われる
英語の歌詞にフラの振りをつけたフラが踊られるようになります。
第1次、第2次世界大戦中は
兵士たちのためにフラが踊られ
英語の歌詞に乗って
女性が踊るエキゾチックなフラが
世界中に広まっていくのですが
大戦後は、観光客を誘致するため
ハワイ中のホテルで
ポリネシアンショーやルアウ(ハワイの伝統的な宴会)が催され
フラダンサーやハワイアンシンガーは
エンターティナーとして舞台に立ちました。
この頃、コミカルなフラや
ファイアーショー(サモア)、タヒチアン・ダンスなどを
ミックスしたショーが人気を呼んだといいます。
・・・・現在の日本でも、このようなショーは人気ですよね。
1959年
ハワイはアメリカの州となりました。
その後、アメリカ本土では公民権運動や黒人解放運動が広がり
これに刺激されて
ハワイアンのアイデンティティを
取り戻そうという動きが
少しずつ広がっていきます。
第2次ハワイアン・ルネッサンス(1960年代後半)というハワイ復興運動が始まり
伝統的なフラ(古典フラ)を復活させようという有志の手によって
1971年に初めて
競技会であるメリー・モナーク・フラ・コンペティションが開催されました。
多くの方々が、エンターテイメント一色に染まったフラから
ハワイアンの魂であるフラのルーツを真剣に探究し始めたのだと感じます。
古代から伝えられたフラは、ハワイアンの魂のルーツであり
次世代に伝えていく大切な宝です。
そんなフラを踊らせて頂く私たち日本人もまた
ハワイ語に込められた真の意味を理解し
それを心と身体で表現出来るように
真摯に学び、努力しなければいけないと感じます。
↑ 休憩時間中の生徒の皆さん。
お写真に入っていない方もいらっしゃるのですが
皆さん、いつも短い休憩の間も
熱心に練習や確認をしてくださっています(^^)
ちらっと拝見したノートには、ぎっしり書き込みがされていて・・・
真摯に学んでくださっているご様子が伺えて、頭が下がる想いです。
本当にありがとうございます。
皆さんとともに学ばさせていただける時間が
とても楽しくて幸せです。
『 Mālama Hawaiʻi 』をスローガンとし
何十年後、何百年後もハワイの素晴らしい伝統文化や美しい自然環境を
守っていく取り組みがハワイで行われているように
私たち日本人も、正しく真摯にフラを学ぶことで
Mālama Hawaiʻi
そして
Mālama Iāpana(Japan)
を目指したいと思います。